お正月

子供の頃は、裕福ではなかったサラリーマン

家庭だったけどお正月だけは、下着からコート迄新調してくれていた母だけど自分だけは新しい下着すら買えずにいた。貧しい実感がなかったので、どうして母だけ古いままなのかふしぎだった。父はオシャレで沢山スーツを持っていて母は着た切り雀だったのに父はそれを当たり前だと思っていたようで母の苦労を思い遣る事は無かったと思う!いま思うと発達障害だったのかな?お腹が減ると高速を運転しててもとにかく車を停めさせて食べないと我慢できないとか、自分一人だけ特別に一品付いていても子供に食べさせようとかの意識がなかったような!それを母が指摘すると、ああそうか?みたいに分かる感じ?これって時代なのかな?この人は、食糧危機が来てもまず1番に自分が食べるだろうと子供心に思っていた。そんなこんなを思い出しちょっと切ない年の瀬です。

ビジョン

数日前ベッドに入って眠る寸前ビジョンを見た

妄想かも知れないけど龍に乗って宇宙を飛んでいた。ふと気がつくと天の川の中に居た。

そこは真っ白なトンネルがずっと向こうまで続きトンネルの中を沢山の龍が飛び交っていた。

人を乗せてるのや乗せてないのやら兎に角沢山居た。私は知ってる人がいないかなとキョロキョロしてると知り合いが二人いて二人共男性ヒーラーで一人は淡々ととんでいてもう一人は子供みたいにはしゃいで楽しそうに飛び回っていた。長いトンネルの向こうには、別世界があるようだったけど誰もその向こうには行かず行ったり来たりを繰り返していた。

次の日二人のヒーラーにビジョンの内容をメールした。子供みたいにはしゃいでた方の知り合いから返事が来て、今広島の仙酔島にいるよ、ここは龍に乗れる場所と言われてるんだと書いてあった。面白いシンクロだなと思った。後々天の川で彼らはエネルギーの補給をしていたのかなと思った!もう一人のヒーラーはそこにいた人達は、みんなヒーラーだと言った。私も充電出来たのかな?また行きたいな。

UFO

私は、らしき物2回と、全くその物2回みたことがある。最もハッキリ見たのはオクラホマ州の、ヒューゴという小さな町にサンダンスを見に行った時。1週間滞在してたある日日中することなく外に出て真っ青で雲一つない空をボケッと眺めて居たら突然小さな雲がポコっと現れたと思ったら銀色のお椀型のUFOがくるくる回りながら雲から出て来た!私はびっくりもせずただ眺めて居た。心の中で来て!私を連れて行って!と何度も何度も頼んでた!1分弱こちらを観察するように漂ってたがまた雲が出て来て雲と共に消えてしまった!写真を撮るとか誰かを呼ぶとかの発想が全くなかったのが不思議。

銀色に輝くお椀、綺麗だったなぁ〜もう一度見たいなあと思う。

二回目は、日本で岐阜から大阪に帰って居た途中の高速道路で後部座席には、私の2人の従姉妹が居て久々のドライブにはしゃいで居た時ふと前方上空を見るとなんか飛んでる!従姉妹達が飛行機かな?ッと言った瞬間本物の飛行機が✈️横切り、全く飛行機とは違う形態をハッキリ証明してくれた。その時の形は、何故かクリアーではなく、なんか変なのが飛んでるみたいな感じで良く覚えてない。時間にして3分くらいずっと私達を先導するよう飛んで居たが、気がつけば消えてた!それが何か?と言われたら何もないけど、見せてくれた意味を知りたい。

お地蔵さん

30年以上前にお世話になっていたお寺の住職さんに言われたことがある

(あんたは、地蔵さんの生まれ変わりやから人のために生きなさい) 当時の感想は、えええ〜〜

地蔵さんが人間に生まれ変わる??でした!

その後も心の何処かにあったのか仕事を探すときにヘルパーさんをしようと決めたのかも?

訪問介護だったので沢山のお宅に入り沢山勉強させて貰った。少しは人の役に立って来たのかなと思ってる。今は肉体的に助ける事は出来ないけど誰かの話しを聞いてうなづいてあげる事は出来る。身体が不自由ならそれなりに人の役に立つ事があるだろうと模索中!

人生は、全てタイミング

だから、失敗はないと思ってる!ただタイミングが悪かっただけで商売も人間関係もタイミングが悪いと上手くいかないし、上手く行かないと無駄に努力してしまいむすます悪循環に陥るタイミングが合えば必死で頑張らなくてもすべてスムーズに動く。昔私がヘルパーになろうと思った時、新聞に小さく出ていたヘルパー2級の講習を抽選に当たれば無料で受けられるという記事を見てすぐに応募して当選した!その後面接に行くと来月からあなたの市で新事務所をオーブンするのでそちらで働いてくださいと言われて家の近くで働けるようになり当時最後の1級ヘルパー講習を会社から受けさせて貰い3年後介護福祉士の資格を取り5年後ケアマネージャーになり独立した。これ全て頑張った記憶がほとんどなく、ラッキーとしか思わなかった。もちろん一応掃除機をかけながら勉強した日もあったけど楽しくて、頑張ったんじゃない。

でも、あの時にラッキー全て使い果たしたのかも知れない!アメリカで和食屋を始めてようやく売り上げも上がって来た去年突然の、脳出血でビジネスを売る時間もなくお金も全て失くして帰国した。タイミング悪かった!と思ってる!次のタイミングをしっかり見極めようと目を見張ってる!ただのノー天気かもね!

アンクル エイブル

何年も前にハワイ島でアンクルエイブルと呼ばれているおじさんに会った。彼は海岸にテントを張り、ここはハワイアンの土地だ、開発を止めろと政府を相手に一人で闘っていた。彼はその海岸の小高い丘にあるキングカメハメハの墓を守っていた。私は彼に会った時訳もわからず号泣していた。彼は私をハグしてただI knowと何度も繰り返して言った後に沢山の事を教えてくれた。僕と君はプレアデスでは夫婦であり同士だったよ、そして今プレアデスから沢山の人が地球に来てる。そのほとんどがヒーラーだ、君は日本に帰って沢山ヒーリングをしなさい、そして、疲れたらここに帰っておいで、僕がヒーリングをしてあげるから。当時も今もわたしはヒーラーでは無いけど愛あるヒーラーになりたいといつも思っている。いつ始めるの?

今でしょ!と自分を追い込んでる今日この頃!

姓名判断やります!

私が20歳頃に小さな喫茶店でアルバイトをしていた。繁華街から少し離れた小さくて暇な店は、オーナーの趣味で開けてるような全くお客さんも来ない不思議な店だった。

ある日中年のおじさんが入ってきた!何日ぶりのお客さん?にビックリしながらコーヒーをたてるとゆっくり味わいながら静かにコーヒーをすすりお客さんは帰って行った。それから毎日彼はコーヒーを飲みに来た。大して美味しくもないのに変なおじさんだなと思っていた。1週間ほど過ぎた頃お客さんは私に言った。

ねぇ姓名判断興味ある?私は、占い大好きだったので、もちろんと即答した。そして私の性格や運勢をゆっくり見てくれた後、明日から教えてあげるからノート持っておいで、どうせいつも僕しかお客さんいないしねっと言って帰って行った。面白そうだなと好奇心いっぱいで次の日待ってるとお客さんは、いつもの時間にやって来てコーヒーを飲み終わると授業が始まった。その後一週間毎日とても丁寧に分かりやすくじっくり教えてくれた。そして、僕の知ってる事は全部教えたから梅田辺りで観てもいいよと言い残して帰って行ってから、2度と店に来なかった。えええ〜名前も電話も住所も何も知らないんだけど?先生なのに??その後は、知り合う人全員の姓名判断を自分だけで楽しんでた。何年か過ぎると数字から見えて来る何かがわかった気がしてもっと深くその人の内面が見えるようになりそろそろ真面目にやって見ようかなと重い腰(重過ぎて地面にくいこんでしまった)を上げた私です。なので流派とかなくてあのお客さんの先生が誰なのかも全くわからず!でも、まぁそんなの関係ないよね!姓名判断を取っ掛かりで人生相談がしたいんですよ。友達にも言えない、友達もいない人の胸の内をただ黙って聞いてあげたい、必要ならハグしてあげたい、そんな私です。ご希望の方は、メールのみでお受けしていますので下記のアドレスにメール下さい。詳しいことはメールでお知らせします。宜しくお願いします!

  ayako_love2_hawaii@yahoo.co.jp